今回も記録用なので、意味不明です。ご了承下さい。
前回の失敗は、大体分かっています。
己の全てを出し切るため、それに固執しすぎた。
まるで保守的なイギリス車『ハンバー』のように・・・。
多分、自分の最大限を見てもらいたかった。だから、空回りした。
次はそうならないようにしたいです。
それに、10月中旬に調べてみたら、
実は中身の細かい部分も相当にひどかったことも判明しました。
これは今後の課題です。
結局は、根底の中身よりも即戦力となるような技術力なのでしょう。
QQ活動と同じなのですね。
実力が左右する社会です。
夢も現実なのである、なのでしょう・・・。
この辺で、10月下旬のことを書きます。
3年前の悲劇を思い出しました。
返って来てはいけない物が返って来る。
その物の中身は、正直なところ、理解するのは難しいことでした。
確かに、一部分では納得出来る所もあるものの、
それを除いた他の部分が、完全に真逆でした。
満足していた部分が否定されていて、
逆に自分でもおかしいと思っていたところは割とマシ程度の評価。
ですが、あくまでもマシ程度・・・。
ほぼ、全否定でした。
今回のが答えの一つであることは間違いないです。
ここで、一つ例えを。
まず、『ジープ』という完成された名車があるとします。
これに対抗し得る車を作るという設定。
ジープそっくりに作れば、「似通っている」という評価になりますね。
逆に奇をてらったものにすれば、「売れない」になるわけです。
かといって真ん中を取れば、
「ありきたりだ」あるいは「どっちつかず」になってしまいます。
ただし、限りなく奇をてらったものに近い地点なら、「魅力的」になるかもしれません。
線決めをどこにするか。
何が魅力的なのか。
これは永遠に終わらない、恐るべき問いの一つでしょう。
その上、売れそうもないものが売れたり、
逆に売れると思われて出しても売れなかったり・・・。
結果は、世に出ない限り分からない。
人々が欲しいと思われる魅力的なものを無理して作れば、
一定数の成功はするかもしれません。
それを己の魂を売ってまで作るかどうか・・・。
結局は、固執して、
その固執をどれだけ巧く向上させれるか・・・というのが、今回の結論。
まあ、今回のは一例です。
車の本でも、1冊で調べるよりも2冊で照らし合わせたほうがより確実になります。
数ヵ月後には今回のことが真実か的外れか分かるので、
それまでは苦しんでみることにしましょう。
・・・いや、そんなことでも苦しみたくはないのですが(悲)。