こまかい後悔日記

主に車、WoT、アニメなどのことを書くブログです。

オースティン・ヒーレー

今回の記事を読めば、シティローバーの時に書いた「懐かしい名前」が分かります。
では、どうぞ。

『オースティン・ヒーレー』
2つが混ざり合った傑作スポーツカー。

あまりにも有名な、イギリス製スポーツカーのブランド名です。
この車はBMC社の複数所有するブランド名の一つで、その名の通りオースティン系のブランド。
1950年代に登場しました。
一部のオースティン・ヒーレー車は、
内側の模様が当時のオースティン車のような
何本もの横線が波打っているグリルを持っています。

『オースティン・ヒーレー』の名は、
スポーツカー作りのヒーレー社と
大衆車メーカーのオースティン社(モーリス社と合併してBMC社に)が
結びついて誕生した車です。
最大クラスの自動車メーカーのBMC社が販売したこともあり、
単なるヒーレー車(ヒーレー社が製造していたスポーツカー)とは比べ物にならない程に売れました。

オースティン・ヒーレー車は、大きく分けて2種類があります。


【大きいほうのオースティン・ヒーレー】

「ビッグ・ヒーレー」と呼ばれます。
最初のオースティン・ヒーレー車『オースティン・ヒーレー 100』はヒーレー車から
受け継いだ扇形(おうぎがた)グリルを持っています。
ただ、グリルはヒーレー車のように縦長ではなく横形で、より扇形に近いです。
ヒーレー車と比べればかなり丸い印象。

次の『オースティン・ヒーレー 100シックス』以降は形がそのままで、
内側が当時のオースティン車風な波打ち模様になった
楕円形(だえんけい)グリルに変わります。

最後に登場したのは『オースティン・ヒーレー 3000』。
小さいほうよりも先に消滅しました。


【小さいほうのオースティン・ヒーレー】

『オースティン・ヒーレー スプライト』のこと。
「ヒーレー・スプライト」や愛称で呼ばれますが、
ブランド名はオースティン・ヒーレーで一つのブランド名です(ダブルネーム)。
1950年代後半、大きいほうよりも遅れての登場。
当初は寄り目の丸目ヘッドライトが特徴的で、
半月を横にしたようなグリルは口を開けているように見えますね。
この最初のスプライトの愛称は、「カニ目」や「フロッグ・アイ」など。

1960年代に入って顔つきが大幅に変更され、
両端に丸目ヘッドライト+横長グリルに変更となりました。
これは当然カニ目などの愛称では呼ばれません。
この変更版には、MGブランド・バージョンの相棒『MG ミジェット』もあります。
ミジェットの外見はほぼ同じです。


大成功したオースティン・ヒーレー車ですが、
末期になると小さいほうのスプライトだけが残っている状態となり、
後から加わったMG版のミジェットのほうが主流となっていきます。

結局はスプライトがミジェットよりも先に生産中止となりました。

・・・オースティン・ヒーレー車の最後は、実に寂しいものだったのです。

オースティン・ヒーレー スプライトからヒーレーの名が取れ、

『オースティン スプライト』に変わったことで、

オースティン・ヒーレーの名前はひっそりと消えました。

もはや全盛期の勢いもなく、ヒーレーの名前すら消えたオースティン スプライトは、
早々に姿を消しました。オースティン・ヒーレー スプライト生産中止のすぐ後、ほぼ同じ頃、
1970年代前半のことです。

スプライトの名称だけは、以後もいくつかの車のグレード名(車の上位下位を示す名)として
使用されました。

1950年代から1960年代。イギリス車が現在と違い、華やかだった頃。

オースティン・ヒーレー車は

  イギリス車の最も良き時代

を生きた車と言えるでしょう。