今回は、恥ずかしい過去の話を・・・。
今日(昨日)、少し時間があったので、カセットテ-プ内の自作BGMを聴きました。
これは、自分が曲を作った唯一の作品。
あれは、2年以上も前のこと。
自分には何の音楽の知識もなかったのにもかかわらず、ゲームBGMの素晴らしさの影響を受け、
音楽を作ってみたのでした。
この制作計画は当初から時間もほとんどなく、音楽の基礎すら理解することもなく開始。
無謀でした。
浅はかでした。
甘すぎるものでした。
今聴けば、自分でもひどいと思う箇所が何箇所もあります。
音楽関係者からは「こんなの音楽じゃない」と言われるのは必至。間違いないです。
こんなものを本気で良かったと思い込んでいたから、末恐ろしい。
かつて、自動車のボディは
別のボディ製造メーカーが作っていました(1900年頃の誕生時から第二次大戦1940年代以前)。
ボディ+それ以外=完成品
自動車メーカーはその完成製品に自社ブランド名を冠して販売。
ボディ以外のエンジンやシャーシなどを作って。
エンジンも他社製のことがありましたが、シャーシにのせていたのは(恐らく)自動車メーカー。
つまり、単純に言えば、
自動車メーカーはシャーシ(土台)と
ボンネットまわり(エンジンやボンネット、フロントガラス、ヘッドライトやグリル)を作り、
ボディ製造メーカーに頼んだボディをのせる。
自分で作った音楽は、
自動車メーカーが作った「シャーシ+ボンネットまわり」のみの状態なような不完全なもの。
しかしながら、エンジンは壊れていて、シャーシは曲がっていて、ライトは点かない、
不都合の固まりのようなもの。
エンブレムすら、つけれないような存在。
要は、作った音楽は法則を無視しためちゃくちゃなものでした。
それでも、グリルだけは光り輝いていた。
自分の「好き」が入ったものですからね。
ほんの一部分だけは、美しい響きがあった。
だからこそ、今日、聴いたのでした。
結局のところ、この作曲まがいのことが現在のニートな生活の発端の一つでもあるのです。
失敗作でした。
弱小、貧弱でした。
ひどいものでした。
完全に堕落した今に続いている。
現在なら、無理さえすれば音楽の勉強をする時間ぐらい作れるでしょう。
でも、そうしない。
無駄だから、と言えば言い過ぎでしょうが、
音楽を作る興味を失ったから、
と言うのが近いでしょうか。
興味さえあれば、今も作っているでしょうから。
音楽は家にある、
聴いて感動できるに値するもの(プレステやその他のゲームBGMとか、アニメやバンドなどの歌)が
たくさんあるため、自分で作る必要はないと判断。
音楽は好きです。
それだけで、今は構わない。
・・・もし今後、BGMを作ろうとする時があるとするならば、
今度はまともなシャーシのものを作りたい。
その時はきっと音楽の知識と情熱を持って挑むでしょうから、
あの頃よりもマシになっているとは思います。
せめて、基礎をちゃんと固めてあるものも・・・。
もっとも、今は作る気はありませんし、その日が来ない可能性が高いですが。
作る日はなくても、あの時の自作魂は今も内にあり。
今も輝く最高のグリルを正面に堂々とつけていたい。
それが自分の全てでもあるのだから。